「あなたは随分とうがった見方をするね」と人から言われたら、みなさんはどのような意味だと受け取りますか?
褒められているの?けなされているの?
私はなんだかひねくれていて、ちょっと面倒な人だね…と言われているような気がして、けなされているのだとばかり思っていました。
ところが「うがった見方」とは、実はけなすような意味の言葉ではないらしいのです。あらあら、私は間違えて捉えていたのですね。お恥ずかしい。では本当はどのような意味なのでしょうか。
また「うがった」は漢字で「穿った」と書きます。これは他に「ほじった(ほじくった)」とも読みます。ということは、うがったとほじったでは同じ意味なのでしょうか。
この記事では「うがった見方」の意味と、ほかの読み方にあたる「ほじった(ほじくった)」を解説していきたいと思います。
「うがった見方」の「うがった」の意味とは?
それではさっそく「うがった見方」の正しい意味をみていきましょう。
うがった見方の「うがった」とは「うがつ」という意味で、「うがつ(穿つ)」には、穴をあけるや掘る。また、突き通すや貫く(つらぬく)という意味があります。
この他にも押し分けて進む。通り抜けていく。といった意味もあります。
ここまで見ると「穿つ(うがつ)」と「ほじった」は同じような意味合いに感じますよね。
「うがつ」の意味はさらに、物事や人情の本質(かくれた真実)をうまく的確につく。といったような意味があり、これこそが「うがった見方」に使う「うがつ」のことです。
また、衣服や履物(はきもの)を「はく」といった意味で「ズボンを穿く」などの場合も「穿つ」という漢字を使います。
これで「うがつ」の意味はなんとなくご理解いただけたでしょうか?
「うがった見方」の意味とは?
先ほど「うがつ」の意味でご紹介ましたが「うがった見方」の本来の意味は「物事の本質を捉えた見方」が正解です。
しかしながら、「うがつ」の意味を理解せずに言葉の響きから「疑って掛かるような見方」と誤用する人が多い言葉です。
文化庁が平成23年度に発表した「国語に関する世論調査」では、間違った意味で使っている人の方が多い事がわかりました。
物事の本質を捉えた見方をする→26.4% 疑って掛かるような見方をする→48.2%
うがった見方=物事の本質を捉えた見方が本来の意味ですが、半数近くの人が「疑って掛かるような見方」の意味で捉えているので、「うがった見方」を使う場合は注意が必要ですね。
「ほじった(ほじくった)」の意味とは?
「穿った」の別の読み方「ほじった(ほじくった)」の意味についてご説明しますね。
これがわかると「うがった」の理解もより深まると思います。
「ほじった」の意味とは?
「ほじった」とは「ほじる」の意味で、つついて穴をあけたり、穴の中からかきだしたりする。ほじくる。などの意味があります。
「鼻(鼻クソ)をほじる」と使う場合がありますよね(笑)
この他にも細かいことまでとりあげて追求する。という意味もあり「うがった」と似たような意味合いで捉えることができます。
「ほじくった」の意味とは?
「ほじくった」とは「ほじくる」の意味で、穴を掘るようにつつく。また、つつき回して中のものを出す。ほじる。などの意味があります。
また、隠されているわずかなものを、ことさらに追求する。といった意味があります。
「ほじる」も「ほじくる」もつついて穴を掘る、中のものをかきだす、という意味と、細かいところまで深く追求するという意味があり、どちらも同じです。
前述した「うがつ」の意味にも穴を掘る、物事の本質を捉えるなどの意味があり、どれも「穿」という漢字を書く「うがつ」「ほじる」「ほじくる」は、同じ意味を持つと考えてよいでしょう。
まとめ
「うがった見方」とは、正しくは「物事の本質を捉えた見方」という意味で、思慮深く物事の本質を追求し、それをうまく表現することですから、その行いに対しての褒め言葉であるわけです。
しかしなぜ、多くの人が本来とは違った、疑って掛かるような見方として誤用するに至ったのでしょうか。
物事を掘り下げて追求するという点を、深読みして余計ないことまで詮索しすぎるといったような意味と捉えてしまったのかもしれません。
「あなたはうがった見方をするね」と言われたら、それは褒め言葉です。しかしながら、その言葉を使った人が、本来の意味で発言しているかどうかは微妙なところです。
誤用されることの多い「うがった見方」という言葉ですが、正しい意味を理解し、本来の良い意味での言葉として使いましょう。